大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和25年(ネ)217号 判決 1950年8月08日

控訴人 原告 大湾朝幸

訴訟代理人 岡村玄治 外一名

被控訴人 被告 国

主文

原判決を取り消す。

控訴人が日本の国籍を有しないことを確認する。

訴訟の総費用は被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、原判決事実摘示のとおりであるので、ここにこれを引用する。

控訴代理人は、なお、「(一)本件国籍回復許可申請は、控訴人が自由意思に基いてなしたものでないから無効である。ここに自由意思とは、自己の欲するところに従つて事物を選択する意思の謂であつて、他人から害悪を告知せられ恐怖の余り一時的にもせよ精神錯乱し心神を喪失してなした行為が自由意思喪失による行為であつて無効であることは疑のないところであるが、他人から害悪を告知せられ精神は錯乱しないが右の害悪を避けるため巳むを得ないものと信じて自己の欲しない行為をなした場合も同様自由意思に基かないものとして無効と解するのが相当である。しかるところ、本件国籍回復許可申請は、原審主張のとおり、(イ)油科巡査の強迫に基くものであつて、右強迫は控訴人の自由意思を抑圧するに足るものであつたから当然無効であり、仮りに抑圧する程度のものでなかつたとしてもかしある意思表示として当然無効であるか少くとも取り消しうべき行為である。(ロ)仮に油科巡査の行為がいわゆる強迫でなくて好意による勧告にすぎないとしても、控訴人に告げられたところは明かに不法の害悪であつて、控訴人は、右害悪をさけるため巳むを得ないものと信じて本件国籍回復許可申請をなしたのであるから、右申請は無効である。(ニ)被控訴人は、行政行為の公定力を根拠として本件国籍回復許可申請を取り消しえないものと主張するが、およそ行政行為の公定力とは、特にこれに対し争訟を提起し又はこれを取り消しうべき権能を有するものがこれを争い又はこれを取り消す以外には何人もその効力を否定し得ない力をいうのであつて、このような効力はひとり行政行為について存するのでなく私法上の行為についても同様であつて当然のことというべく、国籍回復の許可処分にこのような効力があればとて、直ちにその許可の申請行為も又強迫を理由としても取り消すことをえないものとなるという結論を導き出すことができない。そもそも国は日本の国籍を離脱した外国人に対して国籍の回復を命ずるものでなく、その許可申請をまつてはじめて許可しうるにすぎないのであつて、いわば国籍の回復は国と当該外国人との意思表示の合致を要件として成立するものであるということもできる。従つて、その一方の意思表示が強迫によつてなされた場合に、もしそれが当然無効でないならば民法の規定を類推してその意思表示を取り消しうべきものと解するのが相当であり、その取消権を認めてあえて公共の福祉に反することなく、これを否定することこそ封建的且つ非民主的で、却つて公共の福祉に反するものというべきである。」と附加陳述した。

証拠として、控訴代理人は、甲第一、二号証、第三号証の一、二を提出し、原審(差戻前及び差戻後を含む)並びに当審における証人油科誠一の証言及び控訴人(原告)本人訊問の結果を援用し、被控訴代理人は甲号各証の成立を認めた。

理由

控訴人は、大正三年十一月六日アメリカ合衆国ハワイにおいて日本人大湾朝輝を父として生れ昭和八年六月二十一日その志望によつて日本の国籍を離脱喪失した米国人であつたところ、昭和十七年四月十四日内務大臣に対し日本国籍回復許可の申請をなし、同年七月三日その許可処分がなされたことは、当事者間に争のないところである。そして、原審(差戻前及び差戻後を含む)並びに当審における証人油科誠一の証言並びに控訴人(原告)本人訊問の結果を綜合すれば、控訴人が右のように一旦日本の国籍を離脱しながらさらにこれが回復許可申請をなしたのは、次のような事情経緯に基くものであることが認められる。即ち、控訴人は勉学のため昭和十五年八月十八日単身渡日し昭和医学専門学校に入学したが、固より永住の意思なく、卒業するや直ちにハワイなる両親の下に帰りさらに南カリフォルニヤ大学に入学して医学を修めるつもりでいたところ、昭和十六年十二月八日太平洋戦争が勃発して帰国の望をたたれたのみか、米国人なるの故を以て、日本にある控訴人の預金等の資産は悉く凍結せられ、官憲の看視は日にきびしく、一般世人からは白眼視せられ、固よりハワイなる両親その他肉親友人からの通信はたたれ送金はなく、わずかに所持品を処分し又寄宿先その他日本人の友人の同情にすがつてその日その日をおくつて行く有様で、その生活たるや頗るみじめであり、不愉快であり、戦々兢々として薄氷を踏むが如き有様であつた。ところがたまたま昭和十七年三月下旬頃のある夜、控訴人は、目黒郵便局に行つて用達をした帰途、目黒区中目黒の路上で、折柄防空演習中であつたにかかわらず不注意にも喫煙したので、たちまち警防団員にとがめられ、同副団長照屋哲郎のため強く顔面両耳を殴られ、よつて両耳の鼓膜を破られ(左耳の方は現在も十分なおつていない。)鼻血を出し、精神状態も平調を失うにいたった。それから照屋のため目黒警察署に連行せられ同署勤務の情報係巡査油科誠一の取調を受けたのであつたが、右取調により控訴人が米国人であることを知つた油科巡査は、その後再三控訴人を同署に呼び出し、控訴人に対し、日本の国籍を持たないと、スパイの嫌疑をかけられ、許可がなくては旅行もできず、食糧事情も段々窮迫してくればその配給を停止されるかも知れないからといつて、執ように日本国籍回復許可の申請方をすゝめ、その語気態度も相当強いところがあつたので、控訴人は、前記暴行を受けた直後であり自己の不安な日々の生活を思い合せ、かつは当時浸出性肋膜炎を患つていてこの上食糧の配給を停止されるようなことがあれば生命の程も保ちがたいと思い、この上は好むと好まざるとにかゝわらず油科巡査の言にきいて日本国籍回復許可の申請をなしその許可を得て現在の危機をのがれ生命を全うするよりほか方法がないと決心し、ここに前記のように昭和十七年四月十四日日本国籍回復許可の申請をしたのであつた。

控訴人は、右国籍回復許可申請は右油科巡査の強迫によるものであるから、当然無効であるか少くとも取り消しうべき行為であると主張する。しかしながら、いわゆる強迫の事実あるがためには、単に表意者に畏怖の結果意思表示をなした事実あるのみでは足らず、強迫者に強迫の意思のあつたことを必要とするのであつて、本件において、油科巡査が控訴人に対し前認定のようなことを告げて国籍回復許可申請方をすすめ、又、その語気態度に多少手荒いところがあつたとしても、それだけでは同巡査に強迫の意思即ち控訴人を畏怖せしめて、義務なき国籍回復許可申請をさせるため不法の害悪を通知するという意思のあつたものと推認することはできない。けだし当時のわが国情は、敵愾心が頗る熾烈で敵国人がスパイの嫌疑を受けること等は当然予想し得たところであり、又食糧事情も漸く窮屈となつて一般にその配給が制限され将来の見透しも予断を許さぬ実情にあつたことは顯著な事実であるので、油科巡査の前記言動は、或はこれを強迫とみるよりは控訴人の安全のためを思つた好意による勧告とも見られるのであつて、現に油科巡査は三度証人として終始「右は全く控訴人のためを思つてしたのであつて、この際日本の国籍を回復するのが控訴人にとつて最良の方法であると信じたからである。」との旨の供述をしているのであつて、控訴人の証拠によつては、到底本件日本国籍回復許可申請が油科巡査の強迫によつたものである事実を認めることができぬから、右強迫を理由とする控訴人の主張は、その程度のいかん又は当然無効であるか取り消しを許す行為であるかの判断をなすまでもなく、すべて理由がないものといわなければならぬ。

しかしながら、油科巡査に強迫の意思なく、その言動が不法の害悪の通知を以て目すべきものでないとしてもともかく控訴人が、油科巡査の言をきいて畏怖し、この際自己の生命身体等の安全を保持するには、油科巡査のいうとおり、好むと好まざるとにかかわらず日本の国籍を回復するよりほか方法がないと決心し、本件申請に及んだことは、ひとり原審並びに当審における控訴人(原告)本人の供述ばかりでなく、油科証人の証言からもうかがわれるのであつて、右事実は果して本件申請の効力に影響を及ぼすものではないであろうか。問題は控訴人の右決意が果して選択の自由の許された状態の下においてなされたのであろうか、或は当面の危急を脱するため事情已むを得ずとしてなされたのであろうか、又はこのような場合普通一般の人に控訴人のなした行為以外の行為を期待することが可能であろうかということに存するのである。

思うに、本件のような国籍回復許可の申請をなすについては、何人にも強要されず、又、何事にも拘束されず自由な意思の下に、判断し、決定し、行動することが望ましいことであるということは云うまでもないことであるが、さりとて、他人の言動に影響されてなした場合は常に自由意思によるものでないとなすのは行き過ぎであつて、例えば他人から国籍回復許可申請方をすすめられた場合、多少その言動につよいところがあり、又自己に好ましくないことを告げられたとしても、いやしくも選択の自由が許され利害得失を判断の上国籍回復の道を選んだとすれば、それは自由意思によるものであつてその効力を否定し得ないものというべきである。

しかしながらその選択の自由が失われた場合は、それが他人の暴力(強迫を含む。)による場合たると本人の精神状態による場合たるとを問わず、常に自由意思によらないものとしてその効力を否定すべきであつて、唯本人の精神状態を標準とする場合、心神喪失又は精神錯乱のような場合は論がないのであるが、その他の場合には、何人も本人と同じような状況におかれた場合本人のとつた行為以外の行為を期待しうるかということを基準として決定するのが相当であつて、もしこれを期待し得ないとするならば、それは全然選択の自由を失い意思の力の自由な行使を不能にされて巳むを得ずしてなしたものと判定すべく、その行為の効果を本人に帰せしめることのできないのは当然であつて、かかる場合はかの暴力によつて自由意思を抑圧された場合と何等択ぶところがないものというべきである。

ところで、本件において、控訴人が当時敵国人として社会上経済上みじめな不愉快な生活をおくつていたことは別としても、照屋哲郎からかなりひどい暴行を受けた直後であつたこと並びに浸出性肋膜炎を患つていたことは、注目すべき事情であつて、このような状況の下にあつて、控訴人が、よし好意による勧告であつたとしても油科巡査の言をきいて畏怖し、この際自己の生命身体等の安全を保持するには、油科巡査のいうとおり好むと好まざるとにかかわらず日本の国籍を回復するよりほか方法がないと決意したのは、まことに無理からぬところであつて、余程意志の鞏固な人ならば格別、通常人にはこれ以上のことを期待することはできないものと判定するを相当とすべく、これをしも控訴人が利害得失を十分考慮の上国籍回復の道を選んだとなすのはあまりに酷であつてかたきをしうるものというべく、かく認めてこそはじめて、控訴人が、両親その他肉親はすべてアメリカにあり、自己また日本に永住する意思なく帰国が可能になり次第父の下に帰るつもりでいながら内心の意思に反し、日本国籍回復許可申請をなした理由を理解しうるのである。

以上の次第で、本件国籍回復許可申請は、全く控訴人が選択の自由を失い意思の力の自由な行使を不能にされてなしたものであつて、当然無効であると認むべく、従つてこれに対してなされた本件内務大臣の許可処分もまた無効であつて、控訴人はこれにより日本国籍を回復取得するに由ないものといわなければならぬ。然るに控訴人は現に日本人として取り扱われているのであるから、その日本の国籍を有しないことを即時に確定する利益を有することは当然であつて、これが確認を求める控訴人の本訴請求は正当であつて認容すべきである。従つてこれと趣旨を異にした原判決は不当であつて控訴人の控訴は理由があるから、民事訴訟法第三百八十六条第八十九条を適用して主文のとおり判決した次第である。

(裁判長判事 大江保直 判事 梅原松次郎 判事 坂本謁夫)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例